2021-12-17から1日間の記事一覧

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅲ

昭和47年(1972)に汐浜観光組合が伊勢化学工業から譲り受けた「田村別荘」は、組合員が地代や改修費を負担し、定期的に清掃も行っていました。 そして、組合は、大網白里町に「文化財」に指定するよう、要望しました。これを受け、48年(1973)…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅱ

昭和16年(1941)頃に田村別荘は、糸日谷正次氏が真亀の中村宏氏(あぶらや)から購入し、大網白里町北今泉3696番67号に移されました。 建物は解体せず、下にドラム缶を入れ、そのドラム缶を回しながら移動したといいます。 北今泉に移った「田…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅰ

智恵子が療養した「田村別荘」の変遷を探るため、九十九里町真亀と大網白里町北今泉を調査しました。 この別荘があった土地は、大正9年(1920)12月に東京市本郷区金助町17番地(昭和6年1月に本郷区湯島1丁目に転居)の田村豊造が地元真亀の中村…

高村智恵子が療養した田村別荘について

智恵子が療養した「田村別荘」は、東京の湯島1丁目に住む「田村豊造」の所有であったことがはっきりしたが、疑問なのがこの別荘を誰の伝で借用したのかという点である。田村がもと住んでいたところが本郷区金助町(文京区本郷3丁目)で、この付近には明治…

安楽寺の三十番神宮

花和地区の安楽寺で見つけた石碑の二つ目は「三十番神宮」(高さ66cm、幅26cm、奥行き18cm)である。 この石碑には、 (正面)三拾番神宮 (右側面)天満宮 疱瘡神 (左側面)牛頭天王社 大杉大明神 (裏面)天下泰平 国土安全(中略) 天保九戌…

安楽寺の保食神

千葉市若葉区大宮町花和地区にある安楽寺の裏山に2つの石碑を発見した。これまでは見当たらず、久しぶりにこの寺院を訪れ、発見した。 多分、最近、地元の人が花和地区にあったものをこの寺院に移築したものと思われる。 その一つが「保食(うけもち)神」…

成田下総地区巡り 迎接寺

楽満寺からあぜ道に近い道を進む、冬父(とぶ)の迎接寺に向かう。 この寺院は、弘仁3年(812)に弘法大師が聖徳太子作の阿弥陀三尊を携えて来たとき、領主多五郎入道政吉の古地である当地に案内され、心にかなう地に一寺を創建したのが本寺であるという…

成田下総地区巡り 楽満寺

延暦2年(1212)に国一禅師が開基で、本尊は如意輪観音。 行事として3月26日から16日間、「札内ち」と称する数十ヶ町村の観音巡拝と、春秋に利根川沿岸の常総の村々を観音様のご分身を背負って回る「背負い観音」の特異な行事がある。 本堂には多…

成田下総地区巡り 下総歴史民俗資料館

平成7年(1995)2月、旧下総町の町制40周年を記念して下総運動公園の一角に建てられた。 公民館前に車を止めて、資料館に向かう。丘陵地帯に設けられた広い運動公園。前にはモダンな建物。これが歴史民俗資料館。 靴を脱いで館内へ。実に民俗資料が…

成田下総地区巡り 小御門(こみかど)神社

この「成田市下総地区巡り」の見学目的地のもう一つは、小御門神社である。 祭神は鎌倉末期の公卿である花山院大納言藤原師賢(もろかた)である。この師賢は、後醍醐天皇の側近で、時に鎌倉幕府の北條氏打倒を計画したが、事前にその計画が漏れ、幕府方に捕…

成田市下総地区巡り 滑河観音(龍正院)

この成田市下総地区巡りの最大の見学地が滑河観音である。 上野寛永寺の末寺で、坂東33ヶ所観音霊場の第28番札所である。 平安時代の承和5年(838)、又は同7年に滑河城主小田宰相将治が「朝日ヶ淵」(寺の西方約200m)からすくい上げた観音像…

成田市下総地区巡り 昌福寺

西大須賀にある昌福寺は、室町時代の永正14年(1517)に高僧昌順が開山し、のちに良正が中興である。 本尊は阿弥陀如来。かなり大型で、室町様式を伝える木造寄木の座像で、慈覚大師の作という。 寺宝として平将門の愛妾である桔梗の前の鏡と短剣があ…

成田市下総地区巡り 児(ちご)塚

国道51号(佐倉街道)を進み、成田市役所に寄り、下総地区の資料を手に入れ、宝田交差点から県道161号(水掛街道)を進み、下総地区に行く。 まず、立ち寄ったのは四谷にある「児塚」である。民家の一角にあり、地元では「子供の霊を慰めるため、供養塔…

芝山はにわ博物館を訪ねて

芝山の観音教寺を訪ねた際に、同寺に併設されている「芝山ミュージアム・芝山はにわ博物館」を見学しました。 この博物館は、昭和32年(1957)に創設され、平成8年(1996)に新築移転されたもので、昭和32年に早稲田大学滝口宏教授の指導の下で…

七廻(ななまわり)塚古墳について

村田川の河口デルタに面する台地上(生実町字峠台)にあった七廻塚古墳は、直経54m、高さ8.8mの大円墳でしたが、昭和33年に生浜中学校(生浜東小学校)校庭の拡張により消滅しました。 この時の調査によると、内部施設は3基あり、いずれも両端に粘…

荒久古墳について

千葉市中央区青葉町、青葉の森公園内(旧畜産試験所内)に「荒久(あらく)古墳」があり、俗に「岩の唐戸」と呼ばれ、切石の横穴式石室を有する方墳です。昭和34年の調査で、石室床面から1体の人骨と琥珀(こはく)製なつめ玉3個、鉄製馬具が発見されて…

三島の山中城跡を訪ねて

静岡県三島市の国指定史跡「山中城跡」を巡りました。 この城は、静岡県と神奈川県を画するように聳える箱根山の中腹、標高580mに位置する戦国時代の城郭です。 小田原に本拠を置き、関東地方をその領土とする北条氏が築城した国境警備の城、いわゆる「…

千葉氏胤の五輪塔がある来迎寺

千葉市稲毛区轟町に「智東山聖聚院来迎寺」があります。もとは中央区道場北町にありましたが、昭和20年の空襲で全焼し、戦後、現在地に移りました。 この寺院は、建治2年(1276)に一遍上人を開基にし、千葉貞胤が建立しました。浄土宗鎮西派に属し、…

箱根町の早雲寺を訪ねて

箱根町湯本の「早雲寺」を訪ねました。 この寺は、山号を金湯山といい、大永元年(1521)に北条早雲の遺命により、その子氏綱が創建したといいます。以来、北条氏一門の香火所でしたが、天正18年(1590)には豊臣秀吉の小田原攻めのとき、秀吉が本…

箱根関所へ

平成19年(2007)春に復元工事を終えた「箱根関所」へ。 この関所は、江戸幕府が江戸防衛のために全国に53ヶ所に設置されてものの一つで、東海道の新居(静岡県)、中山道の碓井(群馬県)、木曾福島(長野県)と並んで規模が大きく、特に重要な関所…

匝瑳市の史跡 脱走塚

匝瑳市の中台に「脱走塚」がある。 明治元年(1868)10月6日、匝瑳郡松山村で水戸藩内部の諸生派(佐幕派)と天狗党(維新派)との戦いが起こり、諸生派が敗れ、30名が討死した(「松山戦争」という)。 そこで、天狗党は亡くなった諸生派の首を塩…