九十九里町の武家屋敷門が移転

近く、九十九里町にある武家屋敷門が、塩害により保存が大変であるとのことで東京の港区に戻るという。 そこで、先日、九十九里郷土研究会ではこの武家屋敷門と豪農屋敷の見学会を開催した。 武家屋敷門は、文久2年(1862)には老中本多美濃守の屋敷門…

千葉市の大宮神社

福寿院の先を右手に入り、坂道を上り、しばらく進むと右手に「大宮神社」があります。大正15年2月の『千葉郡誌』には、 <千城村川戸字大宮戸に鎮座す。天鈿女命(あめのうずめのみこと)外二柱の神を祀る。社殿間口四尺、奥行四尺、境内百五坪あり。境内…

徳川家康の休憩のために造営された土気の茶亭

千葉市緑区にある「昭和の森」から大網白里町に向かうと「池田入口」のバス停があります。その反対側にこんもりとした丘陵があり、その丘上に日吉神社が鎮座しています。 この辺り一帯が「土気の茶亭」跡で、『当代記』の慶長19年(1614)1月7日の項…

徳川家康の休憩・宿泊のために造られた船橋御殿考

徳川家康が初めて船橋宿(船橋市)を訪れたのは、天正19年(1591)であり、『船橋御殿御由緒写』(千葉市花見川区幕張町・中須賀武文家文書)に、 <(前略)時に天正十九辛卯年、関東入国なさしめ玉ひ、初て船橋へ成され候節、当宮(意富比神社)は関…

木更津・長須賀東照宮

国道16号を木更津市街に向かって進むと、「南長須賀」バス停の先が字南であり、西清小学校があります。その手前に大物主命、国常立命、瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祭神とする日枝神社があります。 この神社の由緒は不詳ですが、かっての社名が山王社で、…

高村光太郎が一服した白里村(大網白里市)の南今泉

昭和9年(1934)5月7日、光太郎は「藁にもすがる思い」で智恵子を母センが住む豊海村(九十九里町)真亀納屋に転地療養をさせました。 そして、光太郎は、ほぼ毎週1回、この真亀の地を智恵子の見舞いのため、訪れました。 朝早く両国駅を発ち、2時…

高村智恵子が療養した田村別荘 智恵子ゆかりの羽織Ⅱ

智恵子が九十九里町真亀を去るとき、お世話になった真亀の小倉機屋さんの奥さんに、そのお礼にと置いていった「羽織」。 その後、大網の小川さんから、現在保管している鈴木茂さんに渡ったといいます。 鈴木さんは、町の方で保管し、展示するように申し出た…

高村智恵子が療養した田村別荘 智恵子ゆかりの羽織

昭和9年(1934)12月20日、智恵子は九十九里町真亀で7ヶ月余り療養し、母センや斎藤一家に見送られ、光太郎の連れられて自動車で東京のアトリエに戻りました。この間、体は丈夫になったが、脳の変調は進展したといいます。 この真亀での療養生活で…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷と新説Ⅵ

汐浜観光組合が買い上げた「田村別荘」は、その地代と改修費の支払いは勿論、定期的な清掃も組合員が行っていた。 同時に組合は、大網白里町に「文化財」に指定するよう要望した。昭和48年(1973)2月に大網白里町文化財審議会の議題として提案された…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅴ

大網白里町北今泉の糸日谷正次氏が住まいとして使用していた「田村別荘」は、昭和46年(1971)5月に伊勢化学工業が工場地を広げるため、土地と一緒にこの伊勢化学工業に売却され、糸日谷氏は北今泉3696ー27に新築移転した。 翌47年(1972…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅳ

田村別荘は、地元の「汐浜観光組合」の所有となり、「高村光太郎智恵子抄ゆかりの家」として公開されましたが、組合員の高齢化により、組合そのものが自然消滅になりました。 そこで、平成元年(1989)に大網白里町はこの建物を文化財にすることを検討し…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅲ

昭和47年(1972)に汐浜観光組合が伊勢化学工業から譲り受けた「田村別荘」は、組合員が地代や改修費を負担し、定期的に清掃も行っていました。 そして、組合は、大網白里町に「文化財」に指定するよう、要望しました。これを受け、48年(1973)…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅱ

昭和16年(1941)頃に田村別荘は、糸日谷正次氏が真亀の中村宏氏(あぶらや)から購入し、大網白里町北今泉3696番67号に移されました。 建物は解体せず、下にドラム缶を入れ、そのドラム缶を回しながら移動したといいます。 北今泉に移った「田…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅰ

智恵子が療養した「田村別荘」の変遷を探るため、九十九里町真亀と大網白里町北今泉を調査しました。 この別荘があった土地は、大正9年(1920)12月に東京市本郷区金助町17番地(昭和6年1月に本郷区湯島1丁目に転居)の田村豊造が地元真亀の中村…

高村智恵子が療養した田村別荘について

智恵子が療養した「田村別荘」は、東京の湯島1丁目に住む「田村豊造」の所有であったことがはっきりしたが、疑問なのがこの別荘を誰の伝で借用したのかという点である。田村がもと住んでいたところが本郷区金助町(文京区本郷3丁目)で、この付近には明治…

安楽寺の三十番神宮

花和地区の安楽寺で見つけた石碑の二つ目は「三十番神宮」(高さ66cm、幅26cm、奥行き18cm)である。 この石碑には、 (正面)三拾番神宮 (右側面)天満宮 疱瘡神 (左側面)牛頭天王社 大杉大明神 (裏面)天下泰平 国土安全(中略) 天保九戌…

安楽寺の保食神

千葉市若葉区大宮町花和地区にある安楽寺の裏山に2つの石碑を発見した。これまでは見当たらず、久しぶりにこの寺院を訪れ、発見した。 多分、最近、地元の人が花和地区にあったものをこの寺院に移築したものと思われる。 その一つが「保食(うけもち)神」…

成田下総地区巡り 迎接寺

楽満寺からあぜ道に近い道を進む、冬父(とぶ)の迎接寺に向かう。 この寺院は、弘仁3年(812)に弘法大師が聖徳太子作の阿弥陀三尊を携えて来たとき、領主多五郎入道政吉の古地である当地に案内され、心にかなう地に一寺を創建したのが本寺であるという…

成田下総地区巡り 楽満寺

延暦2年(1212)に国一禅師が開基で、本尊は如意輪観音。 行事として3月26日から16日間、「札内ち」と称する数十ヶ町村の観音巡拝と、春秋に利根川沿岸の常総の村々を観音様のご分身を背負って回る「背負い観音」の特異な行事がある。 本堂には多…

成田下総地区巡り 下総歴史民俗資料館

平成7年(1995)2月、旧下総町の町制40周年を記念して下総運動公園の一角に建てられた。 公民館前に車を止めて、資料館に向かう。丘陵地帯に設けられた広い運動公園。前にはモダンな建物。これが歴史民俗資料館。 靴を脱いで館内へ。実に民俗資料が…

成田下総地区巡り 小御門(こみかど)神社

この「成田市下総地区巡り」の見学目的地のもう一つは、小御門神社である。 祭神は鎌倉末期の公卿である花山院大納言藤原師賢(もろかた)である。この師賢は、後醍醐天皇の側近で、時に鎌倉幕府の北條氏打倒を計画したが、事前にその計画が漏れ、幕府方に捕…

成田市下総地区巡り 滑河観音(龍正院)

この成田市下総地区巡りの最大の見学地が滑河観音である。 上野寛永寺の末寺で、坂東33ヶ所観音霊場の第28番札所である。 平安時代の承和5年(838)、又は同7年に滑河城主小田宰相将治が「朝日ヶ淵」(寺の西方約200m)からすくい上げた観音像…

成田市下総地区巡り 昌福寺

西大須賀にある昌福寺は、室町時代の永正14年(1517)に高僧昌順が開山し、のちに良正が中興である。 本尊は阿弥陀如来。かなり大型で、室町様式を伝える木造寄木の座像で、慈覚大師の作という。 寺宝として平将門の愛妾である桔梗の前の鏡と短剣があ…

成田市下総地区巡り 児(ちご)塚

国道51号(佐倉街道)を進み、成田市役所に寄り、下総地区の資料を手に入れ、宝田交差点から県道161号(水掛街道)を進み、下総地区に行く。 まず、立ち寄ったのは四谷にある「児塚」である。民家の一角にあり、地元では「子供の霊を慰めるため、供養塔…

芝山はにわ博物館を訪ねて

芝山の観音教寺を訪ねた際に、同寺に併設されている「芝山ミュージアム・芝山はにわ博物館」を見学しました。 この博物館は、昭和32年(1957)に創設され、平成8年(1996)に新築移転されたもので、昭和32年に早稲田大学滝口宏教授の指導の下で…

七廻(ななまわり)塚古墳について

村田川の河口デルタに面する台地上(生実町字峠台)にあった七廻塚古墳は、直経54m、高さ8.8mの大円墳でしたが、昭和33年に生浜中学校(生浜東小学校)校庭の拡張により消滅しました。 この時の調査によると、内部施設は3基あり、いずれも両端に粘…

荒久古墳について

千葉市中央区青葉町、青葉の森公園内(旧畜産試験所内)に「荒久(あらく)古墳」があり、俗に「岩の唐戸」と呼ばれ、切石の横穴式石室を有する方墳です。昭和34年の調査で、石室床面から1体の人骨と琥珀(こはく)製なつめ玉3個、鉄製馬具が発見されて…

三島の山中城跡を訪ねて

静岡県三島市の国指定史跡「山中城跡」を巡りました。 この城は、静岡県と神奈川県を画するように聳える箱根山の中腹、標高580mに位置する戦国時代の城郭です。 小田原に本拠を置き、関東地方をその領土とする北条氏が築城した国境警備の城、いわゆる「…

千葉氏胤の五輪塔がある来迎寺

千葉市稲毛区轟町に「智東山聖聚院来迎寺」があります。もとは中央区道場北町にありましたが、昭和20年の空襲で全焼し、戦後、現在地に移りました。 この寺院は、建治2年(1276)に一遍上人を開基にし、千葉貞胤が建立しました。浄土宗鎮西派に属し、…

箱根町の早雲寺を訪ねて

箱根町湯本の「早雲寺」を訪ねました。 この寺は、山号を金湯山といい、大永元年(1521)に北条早雲の遺命により、その子氏綱が創建したといいます。以来、北条氏一門の香火所でしたが、天正18年(1590)には豊臣秀吉の小田原攻めのとき、秀吉が本…