七廻(ななまわり)塚古墳について

村田川の河口デルタに面する台地上(生実町字峠台)にあった七廻塚古墳は、直経54m、高さ8.8mの大円墳でしたが、昭和33年に生浜中学校(生浜東小学校)校庭の拡張により消滅しました。

この時の調査によると、内部施設は3基あり、いずれも両端に粘土をあてる木棺直葬で、副葬品としては棺内から鉄製大刀・剣・鉄鉾(ほこ)・鎌・斧など、棺外から青銅製鏡・滑石製釧(くしろ)・滑石製品(剣)・滑石製模造品(斧・刀子・剣・鎌)・変形神獣鏡などが出土しました。

この出土の中でも、石剣は、大型(直径16cm)の見事なもので、全国的に見ても優品に属します。また、滑石製の釧(くしろ。腕輪)は、直径16.5cmで、表面を凸レンズ状に盛り上げ、外縁と内縁に放射状の刻みが付けられています。これは、実用品ではなく、呪術的な用途を推測させる、豪族の宝器であったようです。これらの出土品は、現在、南生実町の千葉市埋蔵文化財調査センターに展示してあります。

これらの出土品から見て、この古墳は、5世紀の中頃に築造されたものと考えられています。

地元の伝承によれば、この塚を片足で7回、左周りすると、美しい乙女が機(はた)を織っている姿が現れるとか、オサの音が聞こえてくるといわれています。