千葉氏胤の五輪塔がある来迎寺
千葉市稲毛区轟町に「智東山聖聚院来迎寺」があります。もとは中央区道場北町にありましたが、昭和20年の空襲で全焼し、戦後、現在地に移りました。
この寺院は、建治2年(1276)に一遍上人を開基にし、千葉貞胤が建立しました。浄土宗鎮西派に属し、本尊が阿弥陀如来です。
境内には応永32年(1425)2月15日と刻まれた千葉氏胤の他、夫人円勝尼などの五輪塔が7基と伏見宮尊空法親王(伏見宮邦頼親王の子)の卵塔が建てられています。
氏胤については、『千葉大系図』には貞胤の子で、建武4年(1337)5月11日に京都に生まれ、観応2年(1351)、15才で家督を継ぎ、貞治4年(1365)9月13日に美濃国の知行所において29才で亡くなったと記されています。氏胤は、和歌にも優れ、『新千載集』に、
<人知れず いつしか落つる涙川 渡るとなしに 袖ぬらすらん>
などの歌が載せられています。
「道場」の地名は、この来迎寺に修業道場があったことから名付けられたといい、門前の鶴岡家(現在は鶴沢町に移る)は、伏見宮尊空法親王が法灯を継ぐために京都から下って来たとき、籠脇に侍して来て、そのまま土着したといわれています。