2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

大多喜方面巡検

歴史を知る会の「秋の巡検」は、鶴舞・大多喜方面巡り。 鶴舞ではツールハウスから房総の山々を見た後、本丸跡・藩庁跡・大井戸を見学。それにしても、ツールハウスからの房総の山々を見るのは絶景です。何度見ても飽きません。 鶴舞へは大型バスが入ること…

大多喜城の薬医門

県立大多喜高校の正門付近に県指定史跡の「薬医門」があります。 この薬医門は、天保13年(1842)の火災後に建築された二の丸御殿の御門の一つであるといい、大多喜城内の建造物の数少ない遺構の一つです。 明治4年(1871)の廃藩置県の際に城山…

房総の東照宮

徳川家康を祭神とする東照宮は、日光東照宮・久能山東照宮が有名ですが、日光東照宮の高藤晴俊氏によりますと全国に500社以上あるといいます。 この中で、千葉県内には20社あるとされていますが、郡史や町・市史などの文献や現地調査から41社が確認さ…

静岡の旅 由比本陣跡

今年の旅の最後は、東海道五十三次の16番目の宿場の「由比宿」。 天保年間には、本陣1、脇本陣1、旅籠32軒、家数160軒、人別713人であったという。 宿場の入口では街道が鍵の手に曲がっている、いわゆる「枡(ます)形」が現在も見られる。 由比…

静岡の旅 清見寺(せいけんじ)

清水区にある臨済宗の清見寺を参詣する。 寺の前の駐車場に車を止め、鉄道線路の上を渡るようになっている参道を進む。記録によると、「駿河湾を望む風光明媚な高台にある」とあり、室町時代には雪舟、明治時代には夏目漱石・島崎藤村などが訪れたという。 …

静岡の旅 久能山東照宮(2)

本殿からさらに奥に進むと、「家康公神廟」がある。現地説明板には、 <家康公は元和2年(1616)4月17日に甍去せられ、御遺命によってこの地に埋葬し奉った。廟の高さ6m、西向きになっている。> と記されている。 家康が亡くなった夜、遺命により…

静岡の旅 久能山東照宮(1)

今年の旅のメーンは、駿府城址ともう一つ、この「久能山東照宮」である。 晩年に駿府で過ごした家康は、元和2年(1616)4月17日巳の刻(午前10時)に死去した後、遺命により、この地に埋葬された。 家康の遺命は、同年4月2日頃で、側近の本多正…

静岡の旅 臨済寺

静岡市内の駿府城址の北方にある「臨済寺」へ。 寺伝によると、「今川義元の兄氏照の菩提寺で、義元の軍師太原(たいげん)雪斉(せっさい)長老が、師の大休禅師を迎え、開山した。雪斉は、今川義元の執権職として、帷幕(いばく。軍議をする場所)に縦横の…

静岡の旅 安倍川もち

江戸時代初期、家康が安倍川岸の茶屋に立ち寄ったとき、その店主が黄粉を安倍川上流(梅ヶ島)で取れる砂金に見立てて、撞きたての餅に塗し、「安倍川の金な粉餅」と称して献上した。 家康は、これに大層喜び、安倍川にちなんで「安倍川餅」と名付けたという…

静岡の旅 静岡浅間神社

次に訪れたのは、静岡浅間神社。この神社は、神部(かんべ)神社と浅間(あさま)神社、大歳御祖(おおとしみおや)神社の三社を総称している。いずれも、駿河国総社として広く信仰されているという。 三社とも鎌倉時代から歴代幕府の崇敬を受け、江戸時代に…

静岡の旅 駿府城址(2)

中央の本丸跡に昭和48年(1973)に建立された「徳川家康公銅像」がある。家康唯一の趣味であった「鷹狩り」。左手には鷹がのせられ、家康に相応しい銅像である。 元和2年(1616)4月17日にこの銅像が建つ辺りで、家康は75歳の生涯を終えたの…

静岡の旅 駿府城址

友人二人との静岡の旅。最初の見学地は、駿府城址。もう4~5回、訪ねているが、久しぶりの見学となる。 この駿府城は、家康の隠居城であるが、14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏が、この地に「今川館」を築き、今川領国支配の中心地であった…