静岡の旅 駿府城址

友人二人との静岡の旅。最初の見学地は、駿府城址。もう4~5回、訪ねているが、久しぶりの見学となる。

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この駿府城は、家康の隠居城であるが、14世紀に室町幕府駿河守護に任じられた今川氏が、この地に「今川館」を築き、今川領国支配の中心地であった。

今川氏全盛期の9代義元時代に、家康(松平竹千代)は人質として19歳までの12年間、この駿府で生活した。

武田氏は、天正10年(1582)に織田・徳川勢力により滅亡し、甲斐・駿河の武田遺領は三河の家康が領有した。

天正18年(1590)には豊臣氏が小田原北条氏を倒し、家康が関東に入国すると、この城には豊臣氏の家臣中村一氏が入城した。

慶長8年(1603)に家康は征夷大将軍に任じられたが、2年後の10年(1605)に将軍職を子の秀忠に譲り、大御所となり、この駿府城を改修し、ここに移った。

東御門から城内に入り、巽櫓の見学である。この櫓は、平成元年(1989)に完成したもので、建築材料が太く、長い木材を使用しており、いつ行っても感心する。

新たに紅葉山庭園が造られているということで見学した。もともとはこのような庭園は駿府城にはなく、観光用に造られたようである。

近年、明治時代に陸軍歩兵第34連隊を置くために埋められた内堀(本丸堀)の発掘調査が行われ、そのごく一部が公開されて、石垣も見られる。現地説明板には、

<本丸堀は、駿府城の三重堀の一番内側の堀で本丸を取り囲んでいます。幅23~30mで、深さは江戸時代には約5mありました。石垣は荒割りした石を積み上げ、隙間に小さな石を詰めていく「打ち込みはぎ」と呼ばれる積み方です。角の部分は「算木(さんぎ)積み」という積み方で、横長の石を互い違いに積んで崩れにくくしています。発掘調査により再び姿をあらわした本丸堀は、江戸時代の雰囲気が感じられる貴重な遺構です。>

と記されている。

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出来れば、もっと本丸御殿を囲んでいたこの堀を可能な限り当時の形で、大きく公開してほしいものである。

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元記事 2012年8月2日