2021-06-29から1日間の記事一覧

2代将軍徳川秀忠の乳母の子が妙見寺(千葉神社)16世に、そして筑波山の住職へ

千葉妙見寺(千葉神社)の住職は、1世の覚算が平忠常の子であり、以後、15世覚全まで千葉氏一族のものが住職を続けてきた。 しかし、これも天正18年(1590)に千葉氏を滅び、徳川家康が江戸に入ると、妙見寺の住職も一変する。 千葉氏一族以外から…

千葉介常胤が源頼朝をお迎えした所=「君待橋」

千葉市中央区長洲1丁目、JR本千葉駅付近に都川に架かる「君待橋」があります。この橋は、もともと新川に架かっていた橋ですが、昭和44年3月に家屋移転と道路整備のために取り壊されてしまいました。そこで、昭和55年11月に千葉市は、数々の伝説を…

千葉介胤政の八男多部田太郎の居城・多部田城

大和時代に朝廷の支配を受け、生産や労役にたずさわった人々によって開墾され、農業が行われたという「多部田」(千葉市若葉区多部田町)の地に、土塁と空堀とに囲まれた、方形の城趾が見られます。 永禄9年(1566)、上杉謙信が千葉介胤富の居城、臼井…