城跡

三島の山中城跡を訪ねて

静岡県三島市の国指定史跡「山中城跡」を巡りました。 この城は、静岡県と神奈川県を画するように聳える箱根山の中腹、標高580mに位置する戦国時代の城郭です。 小田原に本拠を置き、関東地方をその領土とする北条氏が築城した国境警備の城、いわゆる「…

坂田城址を訪ねて(その2)

坂田城について調べるため、書斎の本棚から参考文献を探すと、『山武郡の古城址』(清水浦次郎)があった。その中に昭和6年(1931)当時の坂田城の様子が記載されていたので、それを書き留めることにした。 <坂田城址> 横芝町(旧大総村)坂田の坂田…

坂田城址を訪ねて

国道126号から旧道に入り、横芝中学校脇を直進すると、左手に坂田池公園があります。ここに車を駐車し、北側に小高くそびえる坂田城址を訪ねました。 道沿いに「坂田城址遊歩道」入口があり、その指示を従い、城址への坂道を登ります。ほどなく高く囲まれ…

大多喜城の薬医門

県立大多喜高校の正門付近に県指定史跡の「薬医門」があります。 この薬医門は、天保13年(1842)の火災後に建築された二の丸御殿の御門の一つであるといい、大多喜城内の建造物の数少ない遺構の一つです。 明治4年(1871)の廃藩置県の際に城山…

静岡の旅 駿府城址(2)

中央の本丸跡に昭和48年(1973)に建立された「徳川家康公銅像」がある。家康唯一の趣味であった「鷹狩り」。左手には鷹がのせられ、家康に相応しい銅像である。 元和2年(1616)4月17日にこの銅像が建つ辺りで、家康は75歳の生涯を終えたの…

静岡の旅 駿府城址

友人二人との静岡の旅。最初の見学地は、駿府城址。もう4~5回、訪ねているが、久しぶりの見学となる。 この駿府城は、家康の隠居城であるが、14世紀に室町幕府の駿河守護に任じられた今川氏が、この地に「今川館」を築き、今川領国支配の中心地であった…

印西地方の史跡巡り 印旛沼公園(師戸城跡)

印旛沼を見下ろす小高い丘が広がっている県立の公園で、鎌倉時代、この地の豪族であった師戸四郎の居城師戸城跡でもある。 園内には、印旛沼を一望できる展望台の他、季節の花を楽しめる花木園、芝生広場、野球場、ゲートボール場にも利用できる自由広場もあ…

千葉介胤政の八男多部田太郎の居城・多部田城

大和時代に朝廷の支配を受け、生産や労役にたずさわった人々によって開墾され、農業が行われたという「多部田」(千葉市若葉区多部田町)の地に、土塁と空堀とに囲まれた、方形の城趾が見られます。 永禄9年(1566)、上杉謙信が千葉介胤富の居城、臼井…

千葉一族椎名氏の居城・椎名(崎)城(その2)

千葉一族の椎名胤光は、大椎城の支城椎名(崎)城を居城にしていましたが、その子について、『千葉大系図』では、長子を胤隆(椎名六郎太郎)といい、 <保元の乱に功名を振ふ。治承年中、頼朝卿に仕へ、勇功あり。> とあり、胤隆は保元元年(1156)の…

千葉一族椎名氏の居城、椎名(崎)城を訪ねて(その1)

天正18年(1590)に豊臣秀吉は、関東地方を支配圏にするため、徳川家康と共に小田原北条氏の攻略に向けて軍勢を進めました。そして、4月9日に秀吉は本営の石垣山に入り、秀吉・家康の家臣を北条氏分国の武蔵・上野・下野・上総・下総の支城に向けて…

千葉氏13代の居城・千葉城(亥鼻城)

千葉城(亥鼻城、猪鼻城)の創築については種々の説がありますが、大治元年(1126)に千葉介常重が大椎城(千葉市緑区大椎町)から亥鼻台に築城したとの考えが有力です。城下に様子は、「氏族諸臣の宅も軒を列ねて大に富み販へり」(『千葉伝考記』)と…

千葉氏の重要な拠点・大椎城

千葉市緑区大椎町の「大椎城」は、平安時代中期に平忠常(975~1031)が築き、大治元年(1126)に千葉常重が千葉城(亥鼻城)に移るまで、千葉氏の重要な拠点でした。 平忠常は、この大椎城の他、下総国大友にも居館を構え、両総に広大な私営田を…