千葉市若葉区

千葉市の大宮神社

福寿院の先を右手に入り、坂道を上り、しばらく進むと右手に「大宮神社」があります。大正15年2月の『千葉郡誌』には、 <千城村川戸字大宮戸に鎮座す。天鈿女命(あめのうずめのみこと)外二柱の神を祀る。社殿間口四尺、奥行四尺、境内百五坪あり。境内…

安楽寺の三十番神宮

花和地区の安楽寺で見つけた石碑の二つ目は「三十番神宮」(高さ66cm、幅26cm、奥行き18cm)である。 この石碑には、 (正面)三拾番神宮 (右側面)天満宮 疱瘡神 (左側面)牛頭天王社 大杉大明神 (裏面)天下泰平 国土安全(中略) 天保九戌…

安楽寺の保食神

千葉市若葉区大宮町花和地区にある安楽寺の裏山に2つの石碑を発見した。これまでは見当たらず、久しぶりにこの寺院を訪れ、発見した。 多分、最近、地元の人が花和地区にあったものをこの寺院に移築したものと思われる。 その一つが「保食(うけもち)神」…

千城村の成立

明治22年(1889)4月1日に『市制町村制』が施行され、市町村は自治体であるとし、従来の戸長役場は廃止され、同時に戸長・筆生を廃し、町村役場を設定し、町村長・助役・収入役を置き、町村議員を選挙して町村会を設け、自治団体としての育成が図ら…

仁戸名・星久喜の子供たちの通学路跡

千葉東金道路(有料道路)の市立養護学校前の橋の脇に、かって仁戸名・星久喜の子供たちが千城尋常小学校に通った「通学路」の跡が残っています。 この辺りは、台地に登る道で、立派な階段の跡が見られます。 ここに立ちますと、何か集団で、大声を上げなが…

旧坂月保育所跡、元は坂月小学校があった地

坂月保育所は、2009年4月に坂月小学校の脇に移転しました。 元の坂月保育所の地(字山王)は、明治25年(1892)9月に坂月村が初めて坂月小学校の校舎を建てた場所です。建物は間口8間、奥行4間の平屋でした。 坂月小学校は、明治6年(1931)…

徳川家康の休憩・宿泊のために造営された千葉御茶屋御殿(記録)

千葉市若葉区御殿町に徳川家康のために造られた「御茶屋御殿」跡があります。 家康は、東金辺での「鷹狩り」のために慶長19年(1614)正月と元和元年(1615)11月に訪れていますが、この御殿は、その休憩・宿泊のために造られたものです。 その…

千葉介胤政の八男多部田太郎の居城・多部田城

大和時代に朝廷の支配を受け、生産や労役にたずさわった人々によって開墾され、農業が行われたという「多部田」(千葉市若葉区多部田町)の地に、土塁と空堀とに囲まれた、方形の城趾が見られます。 永禄9年(1566)、上杉謙信が千葉介胤富の居城、臼井…

千葉・更科地区の伝説・伝承(1)徳川家康と「さらしな」

千葉市若葉区旦谷・谷当・下田・大井戸・下泉・上泉・中田(更科町・御殿町を含む)・富田・古泉の各町の一帯を総称して「さらしな」と呼ばれるようになったのは、徳川家康の命名によるという説があります。 「さらしな」とは、『広辞苑』(岩波書店)による…