千葉氏

市川・北国分東照宮(伊弉諾神社)

北総開発鉄道の北国分駅を降り、左手に進むと、字権現原(堀之内4丁目)に伊弉諾(いざなぎ)神社があり、文化6年(1809)には相殿に徳川家康が祀られていた。地元の人たちは、この神社を「権現様」と称している。 この神社の北側入口には、文化6年建…

源頼朝伝説のある白旗神社

中央区新宿町1丁目にある「白旗神社」は、もとは稲倉魂命を祭神として「結城稲荷」と称されていました。 『千葉盛衰記』に、 <頼朝、結城稲荷に白旗を献納、それより白旗大明神と呼ぶ> とあり、治承4年9月17日、源頼朝が千葉に来たとき、千葉介常胤は…

千葉介常胤が源頼朝をお迎えした所=「君待橋」

千葉市中央区長洲1丁目、JR本千葉駅付近に都川に架かる「君待橋」があります。この橋は、もともと新川に架かっていた橋ですが、昭和44年3月に家屋移転と道路整備のために取り壊されてしまいました。そこで、昭和55年11月に千葉市は、数々の伝説を…

千葉介胤政の八男多部田太郎の居城・多部田城

大和時代に朝廷の支配を受け、生産や労役にたずさわった人々によって開墾され、農業が行われたという「多部田」(千葉市若葉区多部田町)の地に、土塁と空堀とに囲まれた、方形の城趾が見られます。 永禄9年(1566)、上杉謙信が千葉介胤富の居城、臼井…

千葉一族椎名氏の居城・椎名(崎)城(その2)

千葉一族の椎名胤光は、大椎城の支城椎名(崎)城を居城にしていましたが、その子について、『千葉大系図』では、長子を胤隆(椎名六郎太郎)といい、 <保元の乱に功名を振ふ。治承年中、頼朝卿に仕へ、勇功あり。> とあり、胤隆は保元元年(1156)の…

千葉一族椎名氏の居城、椎名(崎)城を訪ねて(その1)

天正18年(1590)に豊臣秀吉は、関東地方を支配圏にするため、徳川家康と共に小田原北条氏の攻略に向けて軍勢を進めました。そして、4月9日に秀吉は本営の石垣山に入り、秀吉・家康の家臣を北条氏分国の武蔵・上野・下野・上総・下総の支城に向けて…

千葉氏13代の居城・千葉城(亥鼻城)

千葉城(亥鼻城、猪鼻城)の創築については種々の説がありますが、大治元年(1126)に千葉介常重が大椎城(千葉市緑区大椎町)から亥鼻台に築城したとの考えが有力です。城下に様子は、「氏族諸臣の宅も軒を列ねて大に富み販へり」(『千葉伝考記』)と…

千葉氏の重要な拠点・大椎城

千葉市緑区大椎町の「大椎城」は、平安時代中期に平忠常(975~1031)が築き、大治元年(1126)に千葉常重が千葉城(亥鼻城)に移るまで、千葉氏の重要な拠点でした。 平忠常は、この大椎城の他、下総国大友にも居館を構え、両総に広大な私営田を…