源頼朝

鋸南町の「源頼朝上陸地」を訪ねて

鋸南町の竜島にある「頼朝上陸地」を訪ねました。 この上陸地は「県指定史跡」になり、海岸に向かって「石碑」が建っています。 脇の「説明文」(鋸南町教育委員会)には、 <源頼朝が、治承四年(1180)八月、相州石橋山の合戦に敗れ、同国土肥郷真鶴崎…

源頼朝伝説のある白旗神社

中央区新宿町1丁目にある「白旗神社」は、もとは稲倉魂命を祭神として「結城稲荷」と称されていました。 『千葉盛衰記』に、 <頼朝、結城稲荷に白旗を献納、それより白旗大明神と呼ぶ> とあり、治承4年9月17日、源頼朝が千葉に来たとき、千葉介常胤は…

千葉介常胤が源頼朝をお迎えした所=「君待橋」

千葉市中央区長洲1丁目、JR本千葉駅付近に都川に架かる「君待橋」があります。この橋は、もともと新川に架かっていた橋ですが、昭和44年3月に家屋移転と道路整備のために取り壊されてしまいました。そこで、昭和55年11月に千葉市は、数々の伝説を…

那古寺東照宮(那古寺観音堂内)

館山市の那古山の中腹にある那古寺(真言宗智山派)は、鎌倉時代の作といわれる木造千手観音立像(国指定重要文化財)を本尊とし、養老元年(717)に創建したといわれます。明治39年(1906)の『安房志』(斎藤夏之助)の那古寺の項に、 <人皇四十…

「九十九里浜」の地名由来

石橋山の戦いで敗れた源頼朝は、房州に逃れ、その後、太東崎に差し掛かりました。 「美しい景観だのう・・・。いったい、この浜辺はどのくらいの道のりでがざるか?」 「は、はい。いまだに誰も計ったことがありませんので、いかほどの道のりか分かり兼ねま…