千葉氏の重要な拠点・大椎城

千葉市緑区大椎町の「大椎城」は、平安時代中期に平忠常(975~1031)が築き、大治元年(1126)に千葉常重千葉城亥鼻城)に移るまで、千葉氏の重要な拠点でした。

平忠常は、この大椎城の他、下総国大友にも居館を構え、両総に広大な私営田を所有する、房総で最も有力な武士団の棟梁でした。

この大椎城は、台地上に4つの郭が東西に、直線でつながっています。第1郭の西側の台地の中腹に三角形の突出部が3ヶ所あり、それぞれ眼下に村田川の平地を望み、物見台に利用されたものと思われます。

第2郭は、方形をなし、土塁が比較的よく残っています。この土塁の南側は、幅が広くなっており、櫓台であったと考えられます。

第4郭は、平面三角形で、東側の中段に幅10m、長さ30mの帯状の郭があります。これは、城郭基部の台状遺構が設けられた虎口に対する防御施設として利用されたと思われます。

常重が父常兼の跡を継ぎ、大椎城から千葉城に移った後も、この大椎城は、千葉一族の上総介常家の子孫が守りましたが、15世紀中頃に新勢力の酒井氏が領するところとなりました。酒井氏の居城の土気城の前衛線で、村田川をさかのぼる土岐氏・里見氏などの敵に対する出城として再構築され、使用されたと考えられます。