由来

源頼朝伝説のある白旗神社

中央区新宿町1丁目にある「白旗神社」は、もとは稲倉魂命を祭神として「結城稲荷」と称されていました。 『千葉盛衰記』に、 <頼朝、結城稲荷に白旗を献納、それより白旗大明神と呼ぶ> とあり、治承4年9月17日、源頼朝が千葉に来たとき、千葉介常胤は…

旭市・東禅寺を訪ねて

旭市網戸字城の内の東禅寺を訪ねました。 この寺は、天正18年(1590)に木曽義昌が下総網戸城に入城(1万石)後、城内の一郭に木曽家の菩提寺として建立したという。 入口の標柱には「木曽義昌公廟所」とあり、境内の右手には「木曽義昌公墓所」があ…

千葉介常胤が源頼朝をお迎えした所=「君待橋」

千葉市中央区長洲1丁目、JR本千葉駅付近に都川に架かる「君待橋」があります。この橋は、もともと新川に架かっていた橋ですが、昭和44年3月に家屋移転と道路整備のために取り壊されてしまいました。そこで、昭和55年11月に千葉市は、数々の伝説を…

佐倉・臼井の「権現水」を再訪して

久しぶりに国道296号(成田街道)沿いにある佐倉市臼井台の長谷山宗徳寺を訪ねました。この寺は、元は応永3年(1396)に千葉・小弓城主原胤高が生実・柏崎に創建したもので、天正3年(1575)に原胤栄が臼井城に移った時に移転したといいます。 …

千葉・更科地区の伝説・伝承(1)徳川家康と「さらしな」

千葉市若葉区旦谷・谷当・下田・大井戸・下泉・上泉・中田(更科町・御殿町を含む)・富田・古泉の各町の一帯を総称して「さらしな」と呼ばれるようになったのは、徳川家康の命名によるという説があります。 「さらしな」とは、『広辞苑』(岩波書店)による…

九十九里有料道路の「智恵子橋」

九十九里有料道路(波乗り道路)の片貝ICから大網白里に向かいますと、間もなく右手に国民宿舎サンライズ九十九里の建物が目に入り、有料道路は真亀川に架かる橋を渡ります。 この橋を「智恵子橋」といい、昭和9年(1934)5月から7ヶ月余り真亀納屋…

「九十九里浜」の地名由来

石橋山の戦いで敗れた源頼朝は、房州に逃れ、その後、太東崎に差し掛かりました。 「美しい景観だのう・・・。いったい、この浜辺はどのくらいの道のりでがざるか?」 「は、はい。いまだに誰も計ったことがありませんので、いかほどの道のりか分かり兼ねま…