徳川家康

徳川家康の休憩のために造営された土気の茶亭

千葉市緑区にある「昭和の森」から大網白里町に向かうと「池田入口」のバス停があります。その反対側にこんもりとした丘陵があり、その丘上に日吉神社が鎮座しています。 この辺り一帯が「土気の茶亭」跡で、『当代記』の慶長19年(1614)1月7日の項…

徳川家康の休憩・宿泊のために造られた船橋御殿考

徳川家康が初めて船橋宿(船橋市)を訪れたのは、天正19年(1591)であり、『船橋御殿御由緒写』(千葉市花見川区幕張町・中須賀武文家文書)に、 <(前略)時に天正十九辛卯年、関東入国なさしめ玉ひ、初て船橋へ成され候節、当宮(意富比神社)は関…

市川・北国分東照宮(伊弉諾神社)

北総開発鉄道の北国分駅を降り、左手に進むと、字権現原(堀之内4丁目)に伊弉諾(いざなぎ)神社があり、文化6年(1809)には相殿に徳川家康が祀られていた。地元の人たちは、この神社を「権現様」と称している。 この神社の北側入口には、文化6年建…

静岡の旅 清見寺(せいけんじ)

清水区にある臨済宗の清見寺を参詣する。 寺の前の駐車場に車を止め、鉄道線路の上を渡るようになっている参道を進む。記録によると、「駿河湾を望む風光明媚な高台にある」とあり、室町時代には雪舟、明治時代には夏目漱石・島崎藤村などが訪れたという。 …

静岡の旅 久能山東照宮(2)

本殿からさらに奥に進むと、「家康公神廟」がある。現地説明板には、 <家康公は元和2年(1616)4月17日に甍去せられ、御遺命によってこの地に埋葬し奉った。廟の高さ6m、西向きになっている。> と記されている。 家康が亡くなった夜、遺命により…

静岡の旅 久能山東照宮(1)

今年の旅のメーンは、駿府城址ともう一つ、この「久能山東照宮」である。 晩年に駿府で過ごした家康は、元和2年(1616)4月17日巳の刻(午前10時)に死去した後、遺命により、この地に埋葬された。 家康の遺命は、同年4月2日頃で、側近の本多正…

静岡の旅 臨済寺

静岡市内の駿府城址の北方にある「臨済寺」へ。 寺伝によると、「今川義元の兄氏照の菩提寺で、義元の軍師太原(たいげん)雪斉(せっさい)長老が、師の大休禅師を迎え、開山した。雪斉は、今川義元の執権職として、帷幕(いばく。軍議をする場所)に縦横の…

静岡の旅 駿府城址(2)

中央の本丸跡に昭和48年(1973)に建立された「徳川家康公銅像」がある。家康唯一の趣味であった「鷹狩り」。左手には鷹がのせられ、家康に相応しい銅像である。 元和2年(1616)4月17日にこの銅像が建つ辺りで、家康は75歳の生涯を終えたの…

徳川家康の休憩・宿泊のために造営された千葉御茶屋御殿(記録)

千葉市若葉区御殿町に徳川家康のために造られた「御茶屋御殿」跡があります。 家康は、東金辺での「鷹狩り」のために慶長19年(1614)正月と元和元年(1615)11月に訪れていますが、この御殿は、その休憩・宿泊のために造られたものです。 その…

2代将軍徳川秀忠の乳母の子が妙見寺(千葉神社)16世に、そして筑波山の住職へ

千葉妙見寺(千葉神社)の住職は、1世の覚算が平忠常の子であり、以後、15世覚全まで千葉氏一族のものが住職を続けてきた。 しかし、これも天正18年(1590)に千葉氏を滅び、徳川家康が江戸に入ると、妙見寺の住職も一変する。 千葉氏一族以外から…

佐倉・臼井の「権現水」を再訪して

久しぶりに国道296号(成田街道)沿いにある佐倉市臼井台の長谷山宗徳寺を訪ねました。この寺は、元は応永3年(1396)に千葉・小弓城主原胤高が生実・柏崎に創建したもので、天正3年(1575)に原胤栄が臼井城に移った時に移転したといいます。 …

那古寺東照宮(那古寺観音堂内)

館山市の那古山の中腹にある那古寺(真言宗智山派)は、鎌倉時代の作といわれる木造千手観音立像(国指定重要文化財)を本尊とし、養老元年(717)に創建したといわれます。明治39年(1906)の『安房志』(斎藤夏之助)の那古寺の項に、 <人皇四十…

千葉・更科地区の伝説・伝承(1)徳川家康と「さらしな」

千葉市若葉区旦谷・谷当・下田・大井戸・下泉・上泉・中田(更科町・御殿町を含む)・富田・古泉の各町の一帯を総称して「さらしな」と呼ばれるようになったのは、徳川家康の命名によるという説があります。 「さらしな」とは、『広辞苑』(岩波書店)による…