旭市・東禅寺を訪ねて

旭市網戸字城の内の東禅寺を訪ねました。

この寺は、天正18年(1590)に木曽義昌が下総網戸城に入城(1万石)後、城内の一郭に木曽家の菩提寺として建立したという。

入口の標柱には「木曽義昌公廟所」とあり、境内の右手には「木曽義昌墓所」があります。

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義昌の奥方は、武田信玄の娘の万里姫(真理姫。まりひめ)といい、木曽家は武田氏の一族になったが、信玄の子勝頼の代に意を決して織田信長に通じ、天正10年2月に天目山で勝頼の大軍を破った。

この功績により、木曽10万石を賜り、深志城主(松本城)となった。天正10年6月に信長が本能寺で明智光秀に討たれると、義昌は秀吉に属した。

この義昌は、義仲以来の名君で、網戸城に移ってからも、仁政に満ちた街づくりを行い、人々から「木曽様」と崇め慕われた。

この網戸城で5年余り過ごした、文禄4年(1595)3月17日に56歳で病死した。

因みに「旭市」の「旭」は、この木曽義昌が「朝日将軍」と称されていたことに由来するという。