寺院

成田下総地区巡り 迎接寺

楽満寺からあぜ道に近い道を進む、冬父(とぶ)の迎接寺に向かう。 この寺院は、弘仁3年(812)に弘法大師が聖徳太子作の阿弥陀三尊を携えて来たとき、領主多五郎入道政吉の古地である当地に案内され、心にかなう地に一寺を創建したのが本寺であるという…

成田下総地区巡り 楽満寺

延暦2年(1212)に国一禅師が開基で、本尊は如意輪観音。 行事として3月26日から16日間、「札内ち」と称する数十ヶ町村の観音巡拝と、春秋に利根川沿岸の常総の村々を観音様のご分身を背負って回る「背負い観音」の特異な行事がある。 本堂には多…

成田市下総地区巡り 滑河観音(龍正院)

この成田市下総地区巡りの最大の見学地が滑河観音である。 上野寛永寺の末寺で、坂東33ヶ所観音霊場の第28番札所である。 平安時代の承和5年(838)、又は同7年に滑河城主小田宰相将治が「朝日ヶ淵」(寺の西方約200m)からすくい上げた観音像…

成田市下総地区巡り 昌福寺

西大須賀にある昌福寺は、室町時代の永正14年(1517)に高僧昌順が開山し、のちに良正が中興である。 本尊は阿弥陀如来。かなり大型で、室町様式を伝える木造寄木の座像で、慈覚大師の作という。 寺宝として平将門の愛妾である桔梗の前の鏡と短剣があ…

箱根町の早雲寺を訪ねて

箱根町湯本の「早雲寺」を訪ねました。 この寺は、山号を金湯山といい、大永元年(1521)に北条早雲の遺命により、その子氏綱が創建したといいます。以来、北条氏一門の香火所でしたが、天正18年(1590)には豊臣秀吉の小田原攻めのとき、秀吉が本…

芝山町の観音教寺を訪ねて

先日、芝山の観音教寺に不受不施派関係の史料があるということで、久しぶりに訪ねました。 この寺院は、比叡山延暦寺を本山とする天台宗で、正式には天応山観音教寺福聚院といいます。創建は、奈良時代末期の天応元年(781)に光仁天皇の勅命により、征東…

静岡の旅 清見寺(せいけんじ)

清水区にある臨済宗の清見寺を参詣する。 寺の前の駐車場に車を止め、鉄道線路の上を渡るようになっている参道を進む。記録によると、「駿河湾を望む風光明媚な高台にある」とあり、室町時代には雪舟、明治時代には夏目漱石・島崎藤村などが訪れたという。 …

静岡の旅 臨済寺

静岡市内の駿府城址の北方にある「臨済寺」へ。 寺伝によると、「今川義元の兄氏照の菩提寺で、義元の軍師太原(たいげん)雪斉(せっさい)長老が、師の大休禅師を迎え、開山した。雪斉は、今川義元の執権職として、帷幕(いばく。軍議をする場所)に縦横の…

印西地方の史跡巡り 泉福寺薬師堂

岩戸に鎮座する泉福寺薬師堂は、正面を東に向けた方3間の堂で、屋根は萱葺き寄棟造り、柱はすべて丸柱である。堂内部は前1間を外陣とし、後ろを内陣としている。 堂内には秘仏薬師如来、本尊の前立千手観音、十二神将などが祀られている。 昭和52年に国…

旭市・東禅寺を訪ねて

旭市網戸字城の内の東禅寺を訪ねました。 この寺は、天正18年(1590)に木曽義昌が下総網戸城に入城(1万石)後、城内の一郭に木曽家の菩提寺として建立したという。 入口の標柱には「木曽義昌公廟所」とあり、境内の右手には「木曽義昌公墓所」があ…

2代将軍徳川秀忠の乳母の子が妙見寺(千葉神社)16世に、そして筑波山の住職へ

千葉妙見寺(千葉神社)の住職は、1世の覚算が平忠常の子であり、以後、15世覚全まで千葉氏一族のものが住職を続けてきた。 しかし、これも天正18年(1590)に千葉氏を滅び、徳川家康が江戸に入ると、妙見寺の住職も一変する。 千葉氏一族以外から…

飯高檀林跡(飯高寺)を訪ねて

匝瑳市にある飯高檀林跡(県指定史跡)を訪ねました。 天正8年(1580)にこの地の豪族、平山刑部少輔常時が日生を招き、城内に寺を造り、学問所(檀林)としたのが始まりとされています。天正19年(1591)に徳川幕府から日蓮宗の宗門根本檀林とし…

佐倉・臼井の「権現水」を再訪して

久しぶりに国道296号(成田街道)沿いにある佐倉市臼井台の長谷山宗徳寺を訪ねました。この寺は、元は応永3年(1396)に千葉・小弓城主原胤高が生実・柏崎に創建したもので、天正3年(1575)に原胤栄が臼井城に移った時に移転したといいます。 …

成田祇園祭

昨日、仲間と成田祇園祭の見学に出掛けました。開始が1時間も遅れ、開始前に昼食の時間となった。 ウナギでスタミナをつけ、再度、成田山新勝寺の境内へ。10基の御輿・屋台が本殿前に出て、一礼して街内に繰り出した。 2年前にもこの祇園祭の見学に来た…