静岡の旅 久能山東照宮(1)

今年の旅のメーンは、駿府城址ともう一つ、この「久能山東照宮」である。

晩年に駿府で過ごした家康は、元和2年(1616)4月17日巳の刻(午前10時)に死去した後、遺命により、この地に埋葬された。

家康の遺命は、同年4月2日頃で、側近の本多正純と天海、崇伝の3人に対して、死後の処置について、

<遺体は駿河久能山に葬るべきこと、葬礼は江戸増上寺においておこなうべきこと、位牌は三河大樹寺に立つべきこと、一周忌の過ぎて後、下野日光山に小堂を建てて勧請すること。これによって関八州の鎮守となるべきこと>

と指示している。

家康の遺体は、その日のうちに久能山に移された。この遺体に従ったのは、本多正純松平正綱板倉重昌・秋元泰朝・金地院崇伝・南光院天海・神龍院梵舜(ぼんしゅん)、それに秀忠の名代の土井利勝、義直の名代の成瀬正成、頼宣の名代の安藤直次、頼房の名代の中山信吉だけであった。

さて、我々は、日本平まで車を飛ばし、ここからロープウエイで久能山東照宮に向かうことにする。階段で上ると1159段(いちいちごくろうさん)の石段、並大抵のことではない。しかし、この東照宮に務める人たちは、毎朝、この階段を登り、出勤するという。

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元記事 2012年8月7日