江戸時代初期、家康が安倍川岸の茶屋に立ち寄ったとき、その店主が黄粉を安倍川上流(梅ヶ島)で取れる砂金に見立てて、撞きたての餅に塗し、「安倍川の金な粉餅」と称して献上した。 家康は、これに大層喜び、安倍川にちなんで「安倍川餅」と名付けたという…
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