高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅱ

昭和16年(1941)頃に田村別荘は、糸日谷正次氏が真亀の中村宏氏(あぶらや)から購入し、大網白里町北今泉3696番67号に移されました。

建物は解体せず、下にドラム缶を入れ、そのドラム缶を回しながら移動したといいます。

北今泉に移った「田村別荘」は、糸日谷氏は、自らの住まいとして使用し、その大きさは6畳が2部屋、4.5畳が1部屋などであったといいます。

糸日谷氏は、昭和26年(1951)頃に「田村別荘」を改修し、使える柱を基に建て替えたといい、この時、「田村別荘」の形態は失われたといいます。

その後、46年(1971)5月に伊勢化学工業が工場用地を広げるため、糸日谷氏の土地と建物を購入し、糸日谷氏は北今泉3696番27号(現在地)に新築・移転しました。

糸日谷氏が住んだ「田村別荘」は、47年(1972)に伊勢化学工業が地元の「汐浜観光組合」に譲り、伊勢化学工業の前辺りの県有地に移転しました。組合では「高村光太郎智恵子抄ゆかりの家」として保存し、公開しました。

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