匝瑳市の史跡 脱走塚

匝瑳市の中台に「脱走塚」がある。

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明治元年(1868)10月6日、匝瑳郡松山村で水戸藩内部の諸生派(佐幕派)と天狗党維新派)との戦いが起こり、諸生派が敗れ、30名が討死した(「松山戦争」という)。

そこで、天狗党は亡くなった諸生派の首を塩漬けにして竹槍に刺し、水戸に持ち帰ったといい、残された死体は、村人の手によって手厚く中台村西方寺墓地に葬られた。これを「脱走塚」と称されている。

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