高村智恵子が療養した田村別荘について

智恵子が療養した「田村別荘」は、東京の湯島1丁目に住む「田村豊造」の所有であったことがはっきりしたが、疑問なのがこの別荘を誰の伝で借用したのかという点である。田村がもと住んでいたところが本郷区金助町(文京区本郷3丁目)で、この付近には明治から昭和にかけて夏目漱石坪内逍遙二葉亭四迷正岡子規宮沢賢治石川啄木などの多くの文人たちが居を構えていたという。

この本郷区千駄木に光太郎のアトリエがあることから、田村が知り合いの文人が、光太郎に紹介したとも推測することが出来る。

この「田村別荘」はすでに姿を消したが、かつて大網白里町は「もともと自分の町にあったものではなく、建物が改築されているため、保存の予定はない」といい、九十九里町が「『千鳥と遊ぶ智恵子』の歌碑付近に移して保存する」との話もあった。

しかし、いずれ九十九里町真亀に戻り、保存されるだろうと思っていたが、平成12年に大網白里町に行ったときには影も形もなく、目を疑った。

地元の話によると、建物の柱は町役場の方で保存してあるというが確かではない。しかし、財政難や管理面、いきさつなどもあろうが、文化的に貴重な文化財をいとも簡単に無くすことができるものかと、腹立たしい限りである。

f:id:bososhitan:20211217225500j:plain

f:id:bososhitan:20211217225542j:plain