千葉市にある「寛永寺の石灯籠」

千葉市に寛永寺の石灯籠が保存されています。 この石灯籠には、 <浚明院殿(第10代将軍) 天明六年丙午(1786)九月八日 江州水口城(滋賀県甲賀市水口町)主 従五位下佐渡守藤原朝臣 加藤氏明陳(あきのぶ) 敬白> と刻まれています。 加藤明陳は、…

鴨川市めぐり 荒島(灯台島)

鴨川松島の一つの荒島は、弁天島のすぐ近くにあり、鴨川灯台が設置されていることから「灯台島」とも呼ばれている。 防波堤から架かる橋は、ハシゴ状で、ジャングルジム並みに鉄骨のはしごである。足元は金網の状態で、何か寒気を覚える。 鴨川灯台は、白亜…

鴨川市内めぐり 弁天島

鴨川漁港を通り抜け、防波堤を進むと、右側に「鴨川松島」で最も大きな島がある。厳島神社が祀られている弁天島で、面積0.02平方キロ、周囲0.5キロである。 新しく建て替えられた橋を渡ると、厳島神社の赤い鳥居があり、その先に改修中の本殿がある。…

鴨川市内めぐり 鴨川松島

鴨川の貝渚(かいすか)から江見にかけての海岸には多くの小島や奇岩が点在しており、中でも、鴨川漁港の沖には外房随一の名勝と称される「鴨川松島」の絶景が広がっている。 この鴨川松島は、荒島・弁天島・鵜島・雀島・波濤根島・猪貝島・海獺(あしか)島…

鴨川市内めぐり 魚見塚展望台

魚見塚とは、漁師が魚群を探すためにここに登って見たという伝承がその由来であるという。 海抜110mの地点に位置し、頂上には長谷川昴氏が彫刻したシンボル女神像「暁風」が太平洋を見つめている。 この像の前で恋人同士が愛を誓いあい、その誓いの場に…

千葉氏13代の居城・千葉城(亥鼻城)

千葉城(亥鼻城、猪鼻城)の創築については種々の説がありますが、大治元年(1126)に千葉介常重が大椎城(千葉市緑区大椎町)から亥鼻台に築城したとの考えが有力です。城下に様子は、「氏族諸臣の宅も軒を列ねて大に富み販へり」(『千葉伝考記』)と…

千葉氏の重要な拠点・大椎城

千葉市緑区大椎町の「大椎城」は、平安時代中期に平忠常(975~1031)が築き、大治元年(1126)に千葉常重が千葉城(亥鼻城)に移るまで、千葉氏の重要な拠点でした。 平忠常は、この大椎城の他、下総国大友にも居館を構え、両総に広大な私営田を…

千葉市内で最も古い道標(道しるべ)

道標(道しるべ)は、道案内を主とする「道標」と、民間信仰に基づいて造立された石仏・石塔などに道案内の銘文を刻んだ「道標銘」とに大別されます。 千葉市内では、現在、128基の道標が確認されていますが、その中で最も古い道標(道標銘)は、中央区弁…

千葉・更科地区の伝説・伝承(1)徳川家康と「さらしな」

千葉市若葉区旦谷・谷当・下田・大井戸・下泉・上泉・中田(更科町・御殿町を含む)・富田・古泉の各町の一帯を総称して「さらしな」と呼ばれるようになったのは、徳川家康の命名によるという説があります。 「さらしな」とは、『広辞苑』(岩波書店)による…

世直し・攘夷「真忠組騒動」の史跡を訪ねて

幕末の文久3年(1863)12月、攘夷と貧民救済をスローガンに掲げ、楠音次郎正光(首領)、三浦帯刀有国(副首領)ら140人余が山辺郡小関村(九十九里町小関)の旅籠「大村屋」(写真上)を拠点として「真忠組」の旗揚げをした。世に「真忠組騒動」…

九十九里有料道路の「智恵子橋」

九十九里有料道路(波乗り道路)の片貝ICから大網白里に向かいますと、間もなく右手に国民宿舎サンライズ九十九里の建物が目に入り、有料道路は真亀川に架かる橋を渡ります。 この橋を「智恵子橋」といい、昭和9年(1934)5月から7ヶ月余り真亀納屋…

「安くて、おいしい!」九十九里・真亀のプレートランチ・ワイメア

「九十九里有料道路」を真亀で下りると、正面に特異な建物の国民宿舎「サンライズ九十九里」が目に入ります。この前から1つ目の信号(左手にコンビニ・ヤマザキがある)を右手に入ると、左側にハワイ風の建物があります。これがハワイを好み、毎年のように…

「九十九里浜」の地名由来

石橋山の戦いで敗れた源頼朝は、房州に逃れ、その後、太東崎に差し掛かりました。 「美しい景観だのう・・・。いったい、この浜辺はどのくらいの道のりでがざるか?」 「は、はい。いまだに誰も計ったことがありませんので、いかほどの道のりか分かり兼ねま…