九十九里有料道路の「智恵子橋」

九十九里有料道路(波乗り道路)の片貝ICから大網白里に向かいますと、間もなく右手に国民宿舎サンライズ九十九里の建物が目に入り、有料道路は真亀川に架かる橋を渡ります。

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この橋を「智恵子橋」といい、昭和9年(1934)5月から7ヶ月余り真亀納屋の「田村別荘」で療養した高村智恵子に因んで命名されたものと思われます。

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真亀納屋の「田村別荘」で療養する智恵子について、加養嘉雄氏の「『智恵子抄ゆかりの家』を偲ぶ」(大網白里町文化協会会報『文化』第26号)には、

<「キイッーイッ、キイッーイッ」とけものじみた声を出して、辺り構わず叫びはじめます。何が起きたのか、怖いものみたさに近所の子供たちが集まりはじめます。人だかりがする中で益々興奮する智恵子をどうしたらようものやら困り果ててしまった母親のセンさんがやって来た光太郎に相談しますと、彼は、「集まってきた子供たちにお菓子でもやって帰したらどうですか。『智恵子はソプラノ歌手で、歌の練習をしているのだから、邪魔をしないでね』とでもいうのですね」というのです。センさんは、いわれた通りそれを実行しました。騒ぎ出すたびに、お菓子を配るわけですから、たとえ一掴みでも、お菓子の量は大変です。光太郎のリックは中身が一段と増えました。

その頃の子供たち、今七十五、六歳の真亀納屋の方々にお聞きしますと、「そりゃあ、私らにはこたえられねえ楽しみだったよ。キィーが始まるのを待ちかねて出かけて行くと、必ずうまい菓子を貰えってから・・・・・」というのです。>

と記されています。