千葉・更科地区の伝説・伝承(1)徳川家康と「さらしな」

千葉市若葉区旦谷・谷当・下田・大井戸・下泉・上泉・中田(更科町・御殿町を含む)・富田・古泉の各町の一帯を総称して「さらしな」と呼ばれるようになったのは、徳川家康命名によるという説があります。

「さらしな」とは、『広辞苑』(岩波書店)によると、

<更科・更級。長野県更級郡の地名。姨捨(おばすて)山、田毎(たごと)の月など、名所が多い。蕎麦(そば)の産地。>

とあり、「さらしなそば(更科蕎麦)」については、

<更科から産する蕎麦。上等な蕎麦として名高い。>

と記されています。

さて、慶長19年(1614)1月8日に家康は、東金辺で「鷹狩り」をするため、早朝に青戸御殿(東京都葛飾区)を発ち、船橋御殿で休憩した後、新しく造られた「御成街道」を通って金親村(千葉市若葉区金親町)の金光院で休憩しました。

この時、中田村・古泉村の農民が作った蕎麦を出したところ、家康は、大変美味しそうに召し上がりながら、

「この蕎麦は、どこで作った蕎麦か?」

と尋ねられました。近くにいた村人が、

「お召し上がり頂いております蕎麦は、この近くの千葉の御殿附近で作っているものでございます」

と答えると、家康は、

「蕎麦といえば、信州の『さらしな』にも名高い蕎麦があるが、それよりもここの蕎麦の方が風味がいい」

といって気に入られ、食後に家康は、

「その御殿一帯を『さらしな』と呼ぶようにするがよい」

と言われたといい、これが「さらしな(更科)」という地名の起源であるといわれています。