千葉市にある「寛永寺の石灯籠」

千葉市寛永寺の石灯籠が保存されています。

この石灯籠には、

<浚明院殿(第10代将軍)

  天明六年丙午(1786)九月八日

  江州水口城(滋賀県甲賀市水口町)主

  従五位下佐渡守藤原朝臣

  加藤氏明陳(あきのぶ) 敬白>

と刻まれています。

f:id:bososhitan:20210609153157j:plain

f:id:bososhitan:20210609153306j:plain

f:id:bososhitan:20210609153335j:plain


加藤明陳は、近江水口藩の第5代藩主で、宝暦8年(1758)8月1日に第3代藩主加藤明熙(あきひろ)の次男として江戸で生まれました。明和6年(1769)5月15日に第4代藩主加藤明堯(あきたか)の養子となり、安永5年(1776)12月朔日に初めて10代将軍家治(淩明院)に拝謁(時に15歳)し、同月16日に従五位下能登守に任官しました。その後、同7年(1778)5月10日に明堯の隠居により、家督を継ぎ、近江国に2万5千を領し、水口藩第5代藩主になりました。同9年(1780)12月3日に佐渡守に任じられ、寛政6年(1794)10月15日に関東の川々の普請や京都の警護などに当たりました。

同11年(1799)9月6日に家督を明允(あきまさ)に譲って隠居し、文化5年(1808)10月8日に病により死去しました。51歳でした。

さて、水口藩主(城主)加藤明陳が将軍家治の逝去に伴い、寛永寺に寄進した石灯籠が、いつ、どうして千葉市にあるのかは、今のところ不明です。