高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅳ

田村別荘は、地元の「汐浜観光組合」の所有となり、「高村光太郎智恵子抄ゆかりの家」として公開されましたが、組合員の高齢化により、組合そのものが自然消滅になりました。

そこで、平成元年(1989)に大網白里町はこの建物を文化財にすることを検討しましたが、やはり前回と同様の理由により、指定を断念し、平成2年(1990)から地代は町が負担しました。その額は109.5㎡、1万1498円であったといいます。

平成6年(1994)には九十九里町が観光資源として「智恵子抄碑」の隣接地に移築することを検討しましたが、これも財政的な理由などで実現しませんでした。

平成10年(1998)になり、地元でペンションを営む栗原親子が「田村別荘保存会」を設立し、3ヶ月をかけ、草刈り・室内の整備・屋根の修復などを行い、公開しました。

しかし、翌11年(1999)3月に管理上の問題から突如、取り壊され、姿を消しました。

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