昭和9年(1934)12月20日、智恵子は九十九里町真亀で7ヶ月余り療養し、母センや斎藤一家に見送られ、光太郎の連れられて自動車で東京のアトリエに戻りました。この間、体は丈夫になったが、脳の変調は進展したといいます。
この真亀での療養生活で、近くの機屋(はたや)の奥さんにお世話になったといい、東京に発つとき、そのお礼として「羽織」を置いていきました。
この「羽織」が大網白里町北今泉の鈴木茂さんが保管しています。羽織は、身丈98cm、幅64cm、袖丈54cm、袖幅31cmで、上品な文様のものです。