2021-12-18から1日間の記事一覧

高村智恵子が療養した田村別荘 智恵子ゆかりの羽織

昭和9年(1934)12月20日、智恵子は九十九里町真亀で7ヶ月余り療養し、母センや斎藤一家に見送られ、光太郎の連れられて自動車で東京のアトリエに戻りました。この間、体は丈夫になったが、脳の変調は進展したといいます。 この真亀での療養生活で…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷と新説Ⅵ

汐浜観光組合が買い上げた「田村別荘」は、その地代と改修費の支払いは勿論、定期的な清掃も組合員が行っていた。 同時に組合は、大網白里町に「文化財」に指定するよう要望した。昭和48年(1973)2月に大網白里町文化財審議会の議題として提案された…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅴ

大網白里町北今泉の糸日谷正次氏が住まいとして使用していた「田村別荘」は、昭和46年(1971)5月に伊勢化学工業が工場地を広げるため、土地と一緒にこの伊勢化学工業に売却され、糸日谷氏は北今泉3696ー27に新築移転した。 翌47年(1972…

高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅳ

田村別荘は、地元の「汐浜観光組合」の所有となり、「高村光太郎智恵子抄ゆかりの家」として公開されましたが、組合員の高齢化により、組合そのものが自然消滅になりました。 そこで、平成元年(1989)に大網白里町はこの建物を文化財にすることを検討し…