高村智恵子が療養した田村別荘 その変遷の新説Ⅴ

大網白里町北今泉の糸日谷正次氏が住まいとして使用していた「田村別荘」は、昭和46年(1971)5月に伊勢化学工業が工場地を広げるため、土地と一緒にこの伊勢化学工業に売却され、糸日谷氏は北今泉3696ー27に新築移転した。

翌47年(1972)に地元の「汐浜観光組合」(組合長大矢喜一)がこの「田村別荘」を伊勢化学工業から譲り受けた。

その理由については、この観光組合は、近くの国有地を借り、民宿兼海の家の「汐浜荘」を経営していた。この汐浜荘は、白里小学校の校舎の一部を移築し、近くに池を造り、うなぎの養殖も行っていたという。

当時、この付近は、夏になると東京方面からの海水浴客で賑わい、民宿や海の家が20軒以上建ち並んでいたという。

組合では、その観光の目玉として、この田村別荘を解体せずに汐浜荘の隣に移築し、地代を国に支払い、「高村光太郎智恵子抄ゆかりの家」として保存・公開した。

写真は上から伊勢化学工業内の「田村別荘」旧地、宴会場に掲げられていた「汐浜荘」の旗、汐浜荘の跡地

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