2021-12-19から1日間の記事一覧

徳川家康の休憩のために造営された土気の茶亭

千葉市緑区にある「昭和の森」から大網白里町に向かうと「池田入口」のバス停があります。その反対側にこんもりとした丘陵があり、その丘上に日吉神社が鎮座しています。 この辺り一帯が「土気の茶亭」跡で、『当代記』の慶長19年(1614)1月7日の項…

徳川家康の休憩・宿泊のために造られた船橋御殿考

徳川家康が初めて船橋宿(船橋市)を訪れたのは、天正19年(1591)であり、『船橋御殿御由緒写』(千葉市花見川区幕張町・中須賀武文家文書)に、 <(前略)時に天正十九辛卯年、関東入国なさしめ玉ひ、初て船橋へ成され候節、当宮(意富比神社)は関…

木更津・長須賀東照宮

国道16号を木更津市街に向かって進むと、「南長須賀」バス停の先が字南であり、西清小学校があります。その手前に大物主命、国常立命、瓊々杵尊(ににぎのみこと)を祭神とする日枝神社があります。 この神社の由緒は不詳ですが、かっての社名が山王社で、…

高村光太郎が一服した白里村(大網白里市)の南今泉

昭和9年(1934)5月7日、光太郎は「藁にもすがる思い」で智恵子を母センが住む豊海村(九十九里町)真亀納屋に転地療養をさせました。 そして、光太郎は、ほぼ毎週1回、この真亀の地を智恵子の見舞いのため、訪れました。 朝早く両国駅を発ち、2時…

高村智恵子が療養した田村別荘 智恵子ゆかりの羽織Ⅱ

智恵子が九十九里町真亀を去るとき、お世話になった真亀の小倉機屋さんの奥さんに、そのお礼にと置いていった「羽織」。 その後、大網の小川さんから、現在保管している鈴木茂さんに渡ったといいます。 鈴木さんは、町の方で保管し、展示するように申し出た…