高村光太郎が一服した白里村(大網白里市)の南今泉

昭和9年(1934)5月7日、光太郎は「藁にもすがる思い」で智恵子を母センが住む豊海村(九十九里町)真亀納屋に転地療養をさせました。

そして、光太郎は、ほぼ毎週1回、この真亀の地を智恵子の見舞いのため、訪れました。

朝早く両国駅を発ち、2時間20分かけて大網駅に着き、ここから東海バスに乗り、白里村(大網白里市)南今泉に着きました。

ここで、一宮からの東海バス、片貝行きに乗り換えますが、光太郎はこの南今泉の店屋で休憩をとりました。この店屋は、「富塚屋」であったといい、この店の女主人は、「黄八丈の着物を着て、帽子はなく、その頃流行した、藤のボストンバックを持った、光太郎先生をみつけました」と話されていました。

この富塚屋は、10年ぐらい前にセブンイレブンに変わりましたが、その後、閉店しています。

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