成田下総地区巡り 下総歴史民俗資料館
平成7年(1995)2月、旧下総町の町制40周年を記念して下総運動公園の一角に建てられた。
公民館前に車を止めて、資料館に向かう。丘陵地帯に設けられた広い運動公園。前にはモダンな建物。これが歴史民俗資料館。
靴を脱いで館内へ。実に民俗資料が多いが、高岡藩の陣屋の模型があり、見ものである。狭い部屋であるが、内容は充実していた。
成田下総地区巡り 小御門(こみかど)神社
この「成田市下総地区巡り」の見学目的地のもう一つは、小御門神社である。
祭神は鎌倉末期の公卿である花山院大納言藤原師賢(もろかた)である。この師賢は、後醍醐天皇の側近で、時に鎌倉幕府の北條氏打倒を計画したが、事前にその計画が漏れ、幕府方に捕らえられ、この下総に流された。身柄は千葉氏に預けられ、元弘2年(1332)に32歳で亡くなった。
この神社の名は、大御門(おおみかど。皇居の門)に対し、明治10年に明治天皇から「小御門」の社号を賜った。同15年には別格官幣社になった。
現在の社殿は、明治15年の造営。本殿・拝殿・中門・奉幣殿・神庫・社務所などがある。
本殿の裏に師賢の古墳があり、「公家塚」・「大納言塚」などと呼ばれ、慶応3年(1867)に領主稲葉正邦が建立した「贈太政大臣藤原文貞公墓」の碑が塚上にあり、近くには師賢の幽居跡がある。
成田市下総地区巡り 滑河観音(龍正院)
上野寛永寺の末寺で、坂東33ヶ所観音霊場の第28番札所である。
平安時代の承和5年(838)、又は同7年に滑河城主小田宰相将治が「朝日ヶ淵」(寺の西方約200m)からすくい上げた観音像の霊感にうたれ、一宇を建立したのが始まりといい、慈覚大師円仁が開山である。
ケヤキや松の老木に囲まれ、正面の仁王門は3間1戸の8脚門。柱は円柱に見えるが、16角の珍しいもの。室町中期の文亀年間の建立で、中の仁王像は「火伏せの仁王尊」として知られている。
すくい上げられた観音像が本尊で、像高3.6cmの小さなもの。のちに仏師定朝作の十一面観音像(3.6m)の胎内に奉安され、脇侍に不動・毘沙門の両尊が祀られ、古くから延命・安産・子育てに霊験ありとして多くの信仰を集めている。