歴史研究

武田信玄の四女・真理姫物語(6)

母の真理姫とともに黒沢(木曽町)に隠れ住んだ末子義通が、玉滝村の旧臣末原彦右衛門に送った『書状』(松原家文書)には、 <おのおの心さしのほどを感じ入り候、まことにいかほど義昌目にかけられ候者共多く候へども、その恩の忘れ、かへって敵を求め候に…

武田信玄の四女・真理姫物語(5)

真理姫は、隠棲しながらも、木曽谷の土豪たちと連絡を取り、木曽家再興を念願していたが、それを果たすことなく、正保4年(1647)7月10日に98年という長く、苦難な人生を終えた。 墓は、旭市網戸の東漸寺(義昌公菩提寺)と木曽町三岳野口の上村家…

武田信玄の四女・真理姫物語(4)

文禄4年(1595)3月17日に義昌は家臣や住民に惜しまれながら、阿知戸城で亡くなった。56歳であった。 すでに跡を継いでいた義利は、天正18年(1590)に木曽福島からここ阿知戸の地への転封は「左遷」であると強く主張し、家康への不満を募ら…

武田信玄の四女・真理姫物語(3)

木曽義昌が織田信長に付いたことを武田勝頼に内通したのは真理姫であるといい、同時に上村作左衛門に出した『木曽谷中旧家系譜録』(塩尻市牛丸四方造家文書)には、 <一、同村(木曽黒沢村)之内上村作左衛門と云有、義徳公(木曽氏)に奉仕、戦功度々有之…

武田信玄の四女・真理姫物語(2)

同年(弘治元年)11月に木曽義康・義昌父子は、甲府に出向き、晴信と盟約を結ぶとともに、義昌の妹・岩姫を人質として甲府に差し出し、白木八郎左衛門を付属させた。 これにより、木曽谷は、武田家の支配圏となり、美濃や飛騨への侵攻における最前線基地と…

武田信玄の四女・真理姫物語(1)

天文19年(1550)に真理姫は、武田信玄の四女として生まれた。生母については、正室三条夫人、または測室油川夫人の説がある。信玄には6人の娘がおり、 ・長女=北条氏政に嫁いだ黄梅院(おうばいいん) ・次女=穴川梅雪に嫁いだ見性院(けんしょう…