竹久夢二「宵待草」のヒロイン、長谷川カタの居住跡(成田市田町)を訪ねて

2007年12月7日、「宵待草」のヒロイン、長谷川カタの居住跡の現状を知るため、成田市田町を訪ねました。

JR千葉駅から成田線に乗って、30分余りで成田駅に到着しました。千葉に長く住んでいますが、電車で成田に来たのは初めてでした。

成田山東門から田町東参道(東門通り)を進むと、左手に成田公民館(市立図書館成田分館)がありました。この公民館の右側に田町商店会が設置した「竹久夢二・叙情詩『宵待草』のヒロイン長谷川カタの居住跡地」という案内板があり、

<「まてど暮せど来ぬひとを 宵待草のやるせなさ こよひは月も出ぬさうな」、竹久夢二が恋するカタへの断ちがたい思いを込めた「宵待草」のヒロインとなった長谷川カタは、成田高等女学校に勤務していた姉シマの関係で一家が田町に住んでいました。夢二とカタとの出会いは、夢二が明治四十三年(1910)の夏を銚子の海鹿島で過ごした時で、同じく避暑に来ていた円らな瞳の美しいカタに恋心を抱くようになり、この時、離婚していた夢二とたびたびデートをかさねていたようです。夏の終わりに、夢二に手渡した宵待草にはカタの深い意味が隠されていたように思えます。その後、カタが夢二に宛てた書簡には、二人で過ごした熱い思いが溢れています。夢二が幾度か成田を訪れたことは彼の日記に記されています。翌年の夏に夢二が再び銚子を訪れた時には、既にカタは作曲家の須川政太郎に嫁いで鹿児島へ去っており、カタとの恋は儚いひと夏の夢となってしまいました。この想いを込めて綴られた詩が「宵待草」です。田町は、叙情詩「宵待草」のバックグランドであり、ヒロインのカタが移住していた地で、「宵待草」発祥の地ともいえます。>

と記されています。

この案内板の下の方に、

<この路地直進80m 付属小学校右隣にあります。>

という案内に従い、公民館右側の路地を直進しました。公民館の裏手が「月極駐車場」で、その正面の一段高いところに「成田高等学校付属小学校」の校舎が聳えています。校舎の下に同校の「自然観察園」があります。この地は、かつてテニスコート場であったといいます。

この脇の一段と狭くなった道を直進しますと、右手に「付属小学校職員駐車場」があり、この隣が重田善雄氏宅です。この駐車場と重田氏宅が「成田(田町)十九番地」で、かってこの地に2棟の成田高等女学校の「寄宿舎」が建っていました。この1棟に同校の教諭の姉シマとカタが住んでいました。

重田氏によると、「建物は平屋で、8畳・6畳・3畳の3つの和室にお勝手(台所・風呂)があり、また、シマとカタが住んでいた建物は「崖の下の方」との記録があり、現在の私の家の方であったようです。38年前に取り壊し、今の家を建てましたが、当時のものといえば、玄関前の丸いコンクリート製の井戸(水は成田山の方の湧水を引いてきている)と、庭の方の檜葉の木の切り株(先日の台風で倒れたために伐採した)ぐらいです」といいます。さらに、重田氏の敷地は、学校法人成田山教育財団の所有で、毎年、財団に地代を払っているということです。

突然訪れた、見知らずの私にもかかわらず、重田夫妻から実に丁寧に教えて頂き、かつ厚いもてなしも受けました。感謝しながら、「カタの居住跡地」を後にしました。