『南総里見八犬伝』伝説の地巡り(その2.犬掛の里)

犬掛古戦場跡は、天文3年(1534)に里見を継いだ義豊(5代・よしとよ)と義豊によって殺された叔父・実尭(さねたか)の子、義尭(6代・よしたか)の両軍の合戦の場です(下の絵は里見の祖・義実)。

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両軍とも血族同士ですが、骨肉の争いを演じました。それは、家督相続をめぐる戦いであり、まさに下剋上の戦国の乱世を象徴するかのような戦いで、「犬掛の合戦」といわれています。

この後、この合戦に勝利した義尭は、家督を継ぐとともに国府台合戦などを経て、その子義弘、孫の義頼が安房・上総を一気に収め、里見領国の支配を確立しました。

八犬伝の中では、八犬士が敵味方に分かれて相争う場面が登場しますが、この合戦がヒントになったようです。

古戦場の一角に「里見氏の墓」があり、この合戦で敗れた3代義通、5代義豊がひっそりと眠っている墓です。

もとは大雲院(廃寺)にありましたが、明治42年(1909)にここに移されました。

墓は室町時代の多層塔です(下の写真)。

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この合戦に敗れた義豊の末路がここにあります。

この古戦場跡から南に5分ほど行ったところに公園があり、「八房と狸の像」が建てられています。案内板には「八房伝説」(平成7年2月、富山市)が記されています。

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<この地犬掛(古くは犬懸)は、文化十一年(1814)江戸時代の文学者曲亭馬琴作『南総里見八犬伝』に登場する舞台であり、八犬士の母である里見伏姫の愛犬「八房」の生誕の地であります。

時は室町時代、百姓枝平の家に一匹の雄犬が生まれました。ある夜、母犬は狼に襲われ食い殺され、子犬は不思議にも生き残りました。乳を与える母親がいない子犬を、不憫に思う独り者の枝平でありましたが、野良仕事が忙しく容易にその子犬の世話ができず、育成をあきらめておりました。しかし、不思議なことに、子犬は日増しに丸々と太り成長をしてまいります。不審に思った枝平はある夜、子犬の様子をそっと窺っておりました。

すると、驚くことに夜更けて、富山の方角から年老いた一匹の狸が、子犬に乳を与えに来ているではありませんか。

この様子は村じゅうに語り継がれ、「狸に育てられた犬」としてうわさは広まりました。このうわさは、城主里見義実の耳にとどき、子犬を召し寄せられ、名前も「八房」と命名され、義実の愛娘伏姫の愛犬として、寵愛されるに至りました。

後に、この八房が伏姫と共に伏姫籠穴で暮らすという『南総里見八犬伝』物語の中でも大変有名な場面が、世に発表されることになります。

名犬「八房」の生い立ちが、こうして狸に育てられたという、美しい動物物語として、長くここ犬掛地域に語り継がれてまいりました。

この像は、子犬を育てた、一匹の狸と名犬「八房」を偲び、いつの時代にも、この美しい物語を、多くの人に語り続けようという意味から建立したものであります。>