大網白里市小西の正法寺と近江局

大網白里市小西にある妙高山正法寺日蓮宗)は、長禄2年(1458)に原胤継(小西原氏の祖、小西城主)が松戸本土寺妙高院日意上人を招き、創建した。その後、天正10年(1582)に飯高檀林(匝瑳市飯高妙福寺)の日裕がこの寺に檀林を開檀し、「小西檀林」と称されたという。

寛文11年(1671)には江戸城大奥を取り仕切っていた近江局が東金御殿を賜り、この正法寺に移築し、檀林の講堂として使用した(現在は本堂)といわれる。

この近江局について、『寛政重修緒家譜』には、

<慶安二年(1649)巌有院殿(家綱)、日光山にもうでたまふのとき、従ひたてまつり、のち上総国東金村の御殿をたまひ、同国小西の檀林にこれを寄附す。寛文十年(1670)一月二十七日死す。年六十七歳>

と記されている。

東金御殿の取り壊しが寛文11年頃であるため、東金御殿の一部が正法寺に移築したのは、近江局の死後ということになるが……(疑問)。