千城村の成立

明治22年(1889)4月1日に『市制町村制』が施行され、市町村は自治体であるとし、従来の戸長役場は廃止され、同時に戸長・筆生を廃し、町村役場を設定し、町村長・助役・収入役を置き、町村議員を選挙して町村会を設け、自治団体としての育成が図られました。

これにより、大宮村・小倉村・大草村・金親村・坂月村・川戸村・仁戸名村・星久喜村の8ヶ村が合併して「千城村」となり、大宮1085番地に役場が置かれました。この役場の地は、現在の大宮神社前の大久保商店の地に大宮村役場があり、それを使用しました。

この8ヶ村が合併して「千城村」の名にした理由について、「新村名選定の事由」には、

<此の村々は、多少優劣なきにあらずと雖も、民情、旧村名の内、其の一を存するを欲せず。又、之を参互折衷せんとするも八ヶ村の多き選択に便ならず。然るに依て此の村々中、城の字を付けしたる字・地名許多あるに依り、其の意味を以て地名を取り、字名を取り本名を付す。>

とあり、8ヶ村内に「城」の字や地名が多かったことにより、「千(ち。多いという意味)城(しろ)村」にしたといいます。

よく考えたものですが、現在、この「千城」の名を使っているのは、小学校と郵便局だけで、地名は「大宮町」です。この「大宮」という地名は、明治20年(1887)8月27日に坂尾村と長峯村が合併したときに付けられた村名で、この地区の鎮守、大宮神社に由来しています。