鋸南町の「源頼朝上陸地」を訪ねて

鋸南町の竜島にある「頼朝上陸地」を訪ねました。

この上陸地は「県指定史跡」になり、海岸に向かって「石碑」が建っています。

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脇の「説明文」(鋸南町教育委員会)には、

源頼朝が、治承四年(1180)八月、相州石橋山の合戦に敗れ、同国土肥郷真鶴崎を小舟で脱出。安房国渡航し、上陸した地点については、伝承をもとに数箇所の地名があげられていました。

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中でも、安房鋸南町竜島と館山市洲崎は代表的な地点として有力視されてきましたが、文学博士大森金五郎氏の研究により、「吾妻鏡」の「八月二十八日、土肥郷真鶴崎より船に乗り、安房国に向い、二十九日、同国平北郡猟島に着く」という記載と、十分な考証から、現在の鋸南町竜島を上陸地点と認定するに至りました。

頼朝上陸当時の安房の国情は、安西・神余(かなまり)・丸・東条・長狭の五氏が、ほぼ国を五分して領国支配をしていましたが、長狭氏を除く四氏が敗戦の将・頼朝を擁立して鎌倉幕府創設の基礎を築きました。なお、四氏に擁立された頼朝と戦った長狭氏は、敗れて滅亡しましたが、鴨川市の一戦場はその古戦場として有名です。>

と記されています。

この石碑の右側にある道路は羽田沖に運ぶ土を載せたダンプカーがひっきりなしに通り、海岸には海水浴場・釣り場として整備され、当時を偲ぶような面影はほとんど残っていませんでした。

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