千葉市内の旧軍隊施設めぐり

川光倉庫の旧気球連隊格納庫を見た後、椿森の国立千葉医療センターに向かいました。途中、右手に「作草部公園」があり、ここには「作草部神社」が鎮座しています。境内に大正4年11月の忠魂碑、明治21年4月の木花開耶姫命、元治元年4月の石尊大権現、同年同月の山王大権現などの石仏、昭和35年8月の庚申塔があり、脇には出羽三山供養塚もあります。この神社について、大正15年の『千葉郡誌』には、

<都賀村作草部字宮後に鎮座す。大雷神・大山砥神・高雷龍神伊邪那岐命伊邪那美命事解男命・高産霊命・猿田比古命・応神天皇菅原道真・素盞鳴命・市寸島比咲命を祀る。由緒詳かならざれども、慶応三年十一月二日、神位吉田殿より授位有之、明治四十三年十一月十一日、同所字屋敷熊野神社及び同四十四年十一月六日、同所皇産霊神社、道祖神、子安神社、天神社、摩利支天神社、疱瘡神社、駒形神社を本社に合祀す。境内社一社あり。日枝神社と称し、大山咋命を祀る。>

と記されています。この公園一帯も、かっては陸軍歩兵学校の敷地でした。

先に進み、東寺山と西千葉を結ぶ「作草部坂道」を横切り、細い道を直進し、右手に曲がりながら進むと、「千葉医療センター」脇に出ました。かって傷病兵の治療に当たった「陸軍衛戌(えいじゅ)病院」が前身で、明治41年4月に開業しました。

隣にある椿森中学校の一帯は、「鉄道第一連隊」があったところで、明治40年10月に東京中野のあった交通兵旅団の鉄道大隊が発展的に拡充してこの地に移転して鉄道連隊となり、その後、大正7年10月に津田沼に鉄道第2連隊が出来ますと、鉄道第1連隊と改称されました。

椿森中学校前を直進すると、右手に「椿森公園」があります。ここには「将校集会所の庭の築山」がそのまま残っています。この公園から椿森中の方に少し戻ったところに椿森集会所があり、その脇に「鉄道大隊の記念碑」、その傍に「鉄道大隊駐屯地の跡」と刻まれた小さな石があります。この脇にある地蔵様は、連隊の営庭の片隅にあったものであるといいます。築山の中央には大日如来が鎮座しています。

ここから国道16号に出るために歩きながら、「そうだ。天気もいいので、近くのコンビニで弁当を買い、千葉公園で食べよう!」の思い、コンビニに立ち寄りました。

すぐに国道16号を横切り、「千葉公園」に向かいました。かって「鉄道第1連隊演習跡」を中心とした一帯で、樹木の全くない台地と沼池に、昭和22年に戦災復興計画の公園造成として工事が始まり、40年に完成しました。約40ヘクタールの敷地に野球場・競輪場・体育館・プールなどがあり、綿打池にはボートが浮かんでいます。

平日の昼間ですが、園内には結構、人がおり、思い思いに過ごしています。池の畔のベンチに腰を降ろし、ゆっくりと買って来た弁当を食べました。晴れていて、温かで、絶好の散歩日和。

この「綿打池」の由来は、江戸時代、この附近が旗本領の作草部村と佐倉藩領の寒川村との境界で、池の帰属をめぐって争いが起こった時、役人の実地検分の前日、寒川村の綿打ちの太郎兵衛が、村内の弁天様の石仏を寒川寄りに移しておいたところ、検分の結果、この池は寒川村のものになったといい、この太郎兵衛の機転を称揚して、この名が付いたといわれています。

時間をかけ、美味しく昼食を取った後、かって鉄道第1連隊が架橋演習のために造った「橋脚」を見ながら、「荒木山」に向かいました。この山の由来について、石にはめ込まれた「説明」には、

<当時、この小高い丘は、連隊のラッパ手の訓練が行われ、「喇叭山」と呼ばれ、親しまれていましたが、殉職した荒木大尉を悼む鉄道第一連隊の兵達により、銅像が建立されたため、以後、「荒木山」と呼ばれるようになりました。その後、物資窮乏の時局を迎えて、銅像の姿は消えましたが、今でも、この小高い丘は「荒木山」と呼ばれ、市民に親しまれております。>

と刻まれています。

荒木山を下り、ボート管理事務所側から公園を出ると、左手に「厳嶋神社(通称弁天様)」があります。弁天及び弁天町という町名は、この弁天様に由来するといいます。祭神が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、子孫・繁栄・学問、特に芸能の神で、神社の由来について、境内の「厳嶋神社綿打池畔」の由緒沿革には、

<江戸の春、綿打池の地積について、寒川村と作草部村との間に争いがあり、藩士のいざ実地検分の前夜、寒川の綿屋太郎兵衛が弁天様の礎石を、こっそり寒川寄りに移し置き、この池が寒川のものである証とした。

明治以降、池のほとりに、ひっそりと佇(たたず)む弁天碑に祠を作り、祭祀を行い、社会の福祉に貢献した村人数名の功績は境内の顕彰碑で知ることができる。又、千葉家が隆盛時代、千葉常胤の六男、東胤頼の館が存在し、爾来、この地を吾妻台と呼ばれる。>

と刻まれています。

午後2時頃、この厳島神社を出て、JR千葉駅に向かいました。天候に恵まれ、一人でゆっくりと、気ままに歩き、途中で道に迷ったところもありましたが、かって若い人たちが帝国日本の勝利を目指して軍事訓練に明け暮れたであろう地を、平和な世の中のありがたさを感じながら、3時間余りをかけて歩き終えました。