茨城県南部(神栖・鹿嶋)史跡巡り 天狗党の墓

天狗党とは、元治元年(1864)に筑波山で挙兵した水戸藩内外の尊皇攘夷派である。

その一派の「太平組」と称する川股茂七郎ら800人余りは、幕府の追討軍に追われて鹿島に集まり、旅籠や寺院などに逃れた。

そして、大船津から北浦を渡り、延方へと逃れるが、逃げ遅れた23名は、この地で捕らえられ、下生の石橋外で打ち首に処せられ、大壌(だいじょう)新田の馬捨て場に埋められた。

明治になり、斎藤俊鹿島郡初代郡長によって「殉難諸士之墓」が建てられた。因みに天狗党の本隊は、敦賀で全滅している。

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